意識データと行動データ
マーケティングリサーチで用いられるデータには意識データと行動データの2種類のデータがあります。意識データとはユーザーが考えていることをデータ化したもので、行動データはユーザーが行動した結果をデータ化したものです。よく混同されるのですが、定量データ(量的データ)と定性データ(質的データ)とは別物です。意識データにも量的、質的データの両方があり、行動データにも量的、質的データの両方があります。あくまでもデータとなる対象が、意識か行動結果かの違いです。他にもデモグラフィック属性データなどもありますが、ここでは割愛します。
ここ最近この2つのデータについて、あれこれと考えていたのですが、まだ考えがまとまっていません。まとまってはいないのですが、考えている途中結果をここに書いてみようと思います。
行動データの優位性
近年のマーケティングデータ分析における大きな転回として、意識データから行動データへ、という点が挙げられます。以前はそもそも行動データ(量的)を取得することはほとんど不可能でした。マーケティングで利用するユーザー調査データの大多数がアンケートで取得された意識データでした。しかし、POSシステムによって状況は一転します。POSによって、「いつ、どの商品が、どんな価格で、どんな人に対して、いくつ売れたか」がわかるようになりました。人がある時点で「考えていた」情報よりも、実際にとった「行動」の方が圧倒的な説得力を持って迎え入れられます。POSデータを基にした仕入れは当たり前のように行われるに至りました。
Webの登場も行動データへの転回に大きく貢献します。Webではアクセスログを通して、ユーザーの「行動」が詳しくわかります。ユーザーが、どこから来て、どのページを見て、購入してくれたのかどうかが簡単にわかります。ユーザーの行動結果こそが真理であり、行動結果を改善するために何をすれば良いのか、がマーケティングとなってきています。
ここにおいて、マーケティングとマーケティングリサーチの垣根が低くなります。つまり、マーケティング施策とマーケティングリサーチが、同時に行われるようになります。A/Bテストや、MVTなどの実験調査は、まさしくマーケティングとリサーチが同時に行われる手法です。新たなマーケティング施策を行い、次の施策へのリサーチも同時に行う。マーケティングとリサーチが同時に行われることで素早い改善が可能となります。これも結果へと直線的に結びつく行動データが容易に取得できて初めて成り立つ手法です。
意識データの劣勢
利用されるデータが行動データへと大きく傾いているのは、行動データが取れるようになったことだけが原因ではありません。意識データへの不信がその根底にあります。その根本的な不信は以下の2点です。
- 人の意識を数量化することができるのか?
- 人は自分の意識を言語化することができるのか?
最初の要因は、意識データというよりも量的データに対する疑問です。行動データが取得される前は、量的データといえば、人口統計データか、アンケートによって作成される意識データでした。アンケートにおける設問は全て設問作成者による恣意的なものであり、事前に作成された仮説を検証するために作られます。仮説を検証するために有利に調査を設計することから逃れられません。また、アンケートの回答も恣意的となります。例えば、5段階尺度でのアンケートで、3段階目と4段階目の境目の解釈は人によって、大きく異なります。それを同一の尺度で語っても良いのかという疑問があります。人口統計データでも、アンケートでも同様ですが、何らかの事象を数量化するとき、必ず「定義」が必要となります。定義は量的データを作成したものによって恣意的に行われざるをえません。
2つ目の要因はより根本的です。自分は自分のことをどれだけ知っているのかという問いへと繋がります。特に未来のことについては、自分自身でも全くわかりません。コンビニに買い物へ行く前と、実際に買ったものを比べてみると、全然違う買い物をしているということも往々にしてありえます。過去に行ったことに対する意識については、まだ妥当性は高いですが、記憶は常に捏造されます。記憶とは現在の意識に基づいて再構成されるものです。過去に取った行動と現在の状況が異なるとき、過去にとった行動を書き換えてしまいます。
長いので続きます。
意識データと行動データ 2